生成AIは人間の代わりになり得るのか?

私の意見は、「なり得ない」です。

なぜならば、彼らがアイデンティティを持つことが難しいと思うから。

人間は人間の数だけ、背景があり、文化があり、感情があり、癖がある

しかもそれが、意図しても意図しなくても、自然にできる。

一方、生成AIのモデルをそこまで増やすには意図しなければできない。

そして、そんなことするメリットは(たぶん)ない。

この人間が持つ多様さを、生成AIは再現できない、というか、再現するにはコストがかかるから、再現しようとしないと思う。

よって、多様な背景から生まれる、ランダムな特質の価値は残ると思っている。

私の好きなポットキャストの中で、「オタクの無駄に細かいディティール語りこそ、人間の価値かもしれない」というようなことが話されていた。

私もそう思う。論理的には説明がつけにくい、よくわからない個人の癖。

ただ、そこに共振する人は多かれ少なかれいて、それが盛り上がり、人生の面白さを創っていると思う。

少なくとも、友達と妙に盛り上がるとき、音楽を聴いて心が動くとき、そういうのは、共振だと私は思っている。

この共振を作ることができるのは、生きている人間の感情、例えば、うれし恥ずかしいとか、悔しくて奮い立つとか、そういう関係性の中で生まれる何かだと思う。

悠揚館もそういう共振を創れる場を目指している。

最近は、なんとなく、創れるんじゃないかと思っている。

小さな共振から大きな共振まで、世界に素敵な未来を魅せるため、私はこの事業をがんばるぞ。