可能性を広げるということは、首を振って見ているだけでは広がらない。
(例.適当なWEB記事や動画を、本の一冊二冊を読んで、わかった気になっている状態)
何かを突破した先でこそ、視野は広がるのではないだろうか。
(例, 没頭し、考えて、手を動かして試行錯誤して、言語だけでなく、体験として消化した結果、世界の見え方そのものが変容した状態)
よって、コンテンツでただ紹介するだけでは、世の中にあふれかえる、興味を引き付けることを目的とした動画コンテンツ・WEB記事と変わらない。私はそれは学びではなく、娯楽であると思う。その境目もまた、曖昧ではあるとは思うが。
ともかく、深く、時に心を削るようなサービスこそ、人の可能性を広げるのではないだろうと私は考える。痛み/破壊を伴わない変化・成長というものを、少なくとも私は知らない。
少なくとも、この数年、自分の視野と可能性を広げたのはそんな経験だった。その連続だった。
領空侵犯をするたびに、そこで試行錯誤して、必死に生きた気がする。
それは観光ではなく、何かを掴むための冒険であったように思える。
そんななか、私のスライドが、本日学会で発表された。
内容のすごさではともかく、領空侵犯・冒険の結果としてうれしく思う。
私自身の可能性は広がったのか?成長したのか?それはわからないけれど。
多くの場合、可能性が広がっているかどうかも、成長も、その渦中ではなく、想像外のタイミングで実感するものだ。しかし、それは私個人の経験則によるもので、他者に当てはまるかはこれからも検討を続ける必要があるのであろう。
ただ、私が取り組む事業を通じて”人の可能性を広げる”ということ、その構造を明らかにすることが、楽しみである。