体験に必要なのは「数」ではない。私の人生を変えた「失恋」という授業

小学生のお子さんを持つ親としては、「体験格差」という言葉に心がざわついたり、「うちの子、体験が足りてないんじゃないか?」と不安になったりすることがあります。
あるいは逆に、スケジュール帳が真っ黒になるほど詰め込みすぎて、「これでいいのかな」と悩んでしまったり。

でも、私は自分の実体験から、思ったんです。
体験の価値って、数の多さや、お金をかけたかどうかじゃない。 その子の記憶に「うわっ!」と焼き付くくらい、特別で衝撃的かどうか。
そこに尽きるんじゃないかな、と。

例え話として、ちょっと恥ずかしいんですが、私の人生を一番変えた体験の話をさせてください。 それは、「猛烈な失恋」です。

当時、私はある人をめちゃくちゃ好きになりました。 「こんなに強く想っているんだから、絶対に届くはずだ」 そう信じて、自分なりに必死に努力もしました。
でも、どれだけ頑張っても、その想いは叶いませんでした。

本当に辛かったです。
でも、そのどん底の中で、ふと気づいたんです。 「ああ、私は自分の強い想い=『愛』だと勘違いしていたんだな」って。

私は「自分がどうしたいか」ばかりで、相手の気持ちをちっとも見ていなかったなと思いました。
相手がいったい何を欲しているのか、考えられていなかったんです。
この強烈な失敗体験は、大人になった今、仕事でお客さまのニーズを考えたり、人とコミュニケーションをとったりする上で、どんな教科書よりも役に立っています。

あの時、私はただ「失恋」しただけじゃなかった。 「相手の立場に立つとはどういうことか」を学ぶ、手痛いけれど貴重な「授業」を受けていたんだと思います。

『イノベーション・オブ・ライフ』という本の中で、クリステンセン教授は「経験の学校」という素敵な言葉を使っています。 人生で起きる出来事を「学校の講座」みたいに捉えてみよう、という考え方です。

さらに以前、この本の読書会に参加したとき、ある参加者の方が言った言葉に、私はハッとさせられました。 「大事なのは、その経験を『何の講座』だと認識して受けるかだよ」と。

私の失恋も、「自分はダメだと思い知らされる講座」として受講することもできました。でも結果的に、「相手を知るための講座」として単位を取ることができた。だからこそ、今の私があるんです。

私たち親ができること。 それは、子供にたくさんの体験を用意することだけじゃないのかもしれません。

子供が何かに猛烈に感動したり、あるいは失敗して傷ついたりしたとき。 「あ、今この子は、人生のすごい授業を受けてる最中なんだな」 そう見守ってあげること。 そしてできれば、「この経験は、何の講座だったんだろうね?」と一緒に考えてあげること。

そんな関わり方こそが、子供たちの人生を豊かにする「本当の体験」を作っていくんじゃないかな、と思っています。